心に咲く花 58回 紫苑(しおん)

紫苑咲けば
四十日で雪が来ると
呟(つぶや)きし祖母も思い出の中  ― 佐藤ヨリ子

【現代訳】
秋の代表花のひとつ「紫苑」が咲くと、あと四十日で雪が降るとつぶやいていた祖母も、今はもう他界して思い出の中にいる。

心に咲く花 2022年58回 紫苑(しおん)


父方の祖母も、母方の祖母も秋に亡くなったせいか、秋の花を見ると他界した祖母を思い出します。仲秋の大地に淡紫色の花を咲かせる紫苑の柔らかな雰囲気を眺めると、どことなくなつかしさを感じます。紫苑を詠み、「祖母も思い出の中」と詠んだこの歌に惹かれたのは、亡き祖母たちが、秋は果実もいいけれど、この時期の大地に咲く花も味わってごらん、と薦めてくれているからなのかもしれません。

日本では平安時代から栽培されてきた紫苑。根を煎じて飲めば、咳止めにも効くと信じられてきました。利尿作用もあると語る専門家もいます。

窪田空穂(くぼたうつぼ)は「たけ高き紫苑のつぼみ色づきぬ赤き蜻蛉の来てやとまらむ」、与謝野晶子(よさのあきこ)は「紫苑咲くわが心より上りたる煙のごときうすいろをして」、中村憲吉(なかむらけんきち)は「ゆふぐれは軒に音やみ雨あがる露ぞあかるしみぎわの紫苑に」という歌を詠んでいます。正岡子規(まさおかしき)は「淋しさを猶(なお)も紫苑ののびるなり」という俳句を残しています。

花言葉は、「追憶」もしくは「追想」、あるいは「君を忘れない」です。

平安時代末期に成立したと言われる説話集『今昔物語』に、この紫苑に関した逸話があることをご存知でしょうか。
ある地域に母を亡くした兄弟がいました。初めのうちは墓参りを欠かさなかった兄弟が、やがて兄は仕事がいそがしくなって、なかなかいけなくなってしまいました。一方の弟は墓前に紫苑を植えて、墓参りを欠かさなかったそうです。そんな弟に、鬼ですら感心した、という逸話が数百年も前から語り継がれます。

紫苑の別名は「十五夜草」。いにしえの人々は、月の美しい秋に咲くこの花にこんな名前をつけて讃えたのでした。


田中章義(たなか あきよし)さん

歌人・作家。静岡市生まれ。大学在学中に「キャラメル」で第36回角川短歌賞を受賞。2001年、国連WAFUNIF親善大使に就任。國學院大學「和歌講座」講師、ふじのくに地球環境史ミュージアム客員教授も務める。『世界で1000年生きている言葉』(PHP文庫)の他、歌集『天地(あめつち)のたから』(角川学芸出版)、『野口英世の母シカ』(白水社)など著書多数。

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