山吹の 花の盛りに なりぬれば
井手の渡りに ゆかぬ日ぞなき― 源実朝
【現代訳】
山吹の花のさかりの時期になったと聞けば、古来、山吹の名所として知られる歌枕の「井手の渡り」に毎日でも通いたいほどだ。
心に咲く花 2020年26回 山吹
『万葉集』に十数首、山吹を詠んだ和歌があります。
『万葉集』の編者大伴家持、『古今和歌集』の編者紀貫之、『新古今和歌集』の編者藤原定家をはじめ、そうそうたる歌人が山吹を詠んできました。
「山吹の 花咲く里に 成ぬれば ここにもゐでと おもほゆるかな」と詠んだのは西行です。
小野小町も「色も香も なつかしきかな 蛙鳴く 井手のわたりの 山吹の花」と詠み、両者に「井手」が出てきます。
掲出歌で紹介した鎌倉幕府の第三代征夷大将軍、源実朝も井手を詠むなど、「井手のわたりの山吹」は、昔から多くの人々を魅了してきました。
京都府の井手町にある玉川が、昔から玉水として讃えられています。かつて左大臣橘諸兄がこの地に別荘をつくり、川の堤に山吹を植えたところから山吹の名所となっていきました。
近代以降では、正岡子規が「山吹の 花咲く宿に 萬葉の 歌の講義の 会を開きぬ」と詠み、北原白秋は「山吹の 咲きしだれたる 窓際は 子が顔出して 空見るところ」という歌を残しました。
山吹の風に舞う黄金色の花は時代を越えて多くの人々に愛されています。
歌人としても知られた江戸城築城の武将、太田道灌は、ある日急な雨に降られた時、その地域の人に蓑を求めました。けれども、ある少女が、雨を避ける蓑ではなく、突然、山吹の花をさし出しました。
醍醐天皇の皇子兼明親王の「七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞかなしき」という御歌を踏まえ、少女は「実の」と「蓑」をかけた「蓑ひとつだになきぞかなしき」という思いを込めたのです。
この御歌を知らなかった道灌は、以後、和歌を真摯に学び始めます。
「おもかげぐさ」の別名もある山吹。
現代でもミュージシャン、スピッツの草野政宗さんが「ヤマブキ」という歌をつくるなど、人々の心に語りかけて咲く、春の花です。
日本の薔薇とも称される山吹。ほのかな甘い芳香も魅力です。
田中章義(たなか あきよし)さん
歌人・作家。静岡市生まれ。大学在学中に「キャラメル」で第36回角川短歌賞を受賞。2001年、国連WAFUNIF親善大使に就任。國學院大學「和歌講座」講師、ふじのくに地球環境史ミュージアム客員教授も務める。『世界で1000年生きている言葉』(PHP文庫)の他、歌集『天地(あめつち)のたから』(角川学芸出版)、『野口英世の母シカ』(白水社)など著書多数。
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