帰国後 サツキ栽培に挑む
赤塚充良の間近で仕事をしてきた社員が、取り組みやエピソードをクローズアップし、その人物像に迫るコーナー『萬古清風』(ばんこのせいふう)。第5回は「帰国後 サツキ栽培に挑む」です。
※掲載内容は発行当時のものです。
日本でどのような農業を始めるかを考える
カリフォルニアでの3年間の農業研修中に赤塚は、帰国後にどのような農業を始めようかと日夜考え続けていました。
故郷の農地はアメリカと比べ極端に狭く、大型機械を駆使するような農業は不可能です。仲間たちの多くは、日本とアメリカの農業はまったく別世界と考え、この研修を外国への出稼ぎのようにしか捉えていなかったようです。しかし赤塚は、耕作面積や経営規模の違いであきらめてしまうのではなく、アメリカ農業の優れたところを積極的に取り入れようと考えていました。
故郷を豊かに変えていくためのさまざまな条件を検討し、これから日本も豊かになれば、食べることだけを考えるのではなく生活を楽しむようになると予測しました。実際、アメリカでは生活水準の向上とともに、公園は花や植木が植栽され、園芸を楽しむ家庭がどんどんと増えています。これからの時代をリードするのは園芸であると直感した赤塚は、日本にいる両親に造園用の「サツキ」の苗をできるだけたくさん増やしておくようにと連絡しました。
サツキに注目、時代の流れにのる
昭和34年(1959年)、26歳の赤塚は3年間のアメリカ農業研修を終えて帰国しました。
そして、以前から注目していたツツジ類を中心とした植木栽培を開始しました。ツツジ類は日本の山野に自生し丈夫で種類が多く、栽培もそれほど難しくありません。故郷の強酸性の黒ボク土壌にも適しています。
膨大な種類・品種を持つツツジ類の中から赤塚が選んだのは、造園に適したサツキでした。サツキとは5月に咲くツツジで、江戸時代から庶民に親しまれてきた盆栽や鉢物用品種のほかに造園用品種があり、これは枝ぶりや常緑の葉が美しく、刈り込んで草姿を整える庭園向きの植木です。
赤塚はこの造園用サツキの仕立て方を、従来の長年かけて1本をていねいに仕立てる方法から、たくさん寄せ植えしてすぐ刈り込んで短期間で仕立てる方法に変えるように提案しました。この赤塚の大量植栽、強剪定による短期間仕立て法は、高度成長期の日本の造園工事に受け入れられ、サツキは大量に消費されるようになっていったのです。
三重県を日本一のサツキ産地に
赤塚は故郷をサツキの産地として有名にするために大量生産に取りかかりました。所有している農地はわずかでしたので、大きな工場の遊休地を借り、荒れた土地を開墾してサツキを増やし続けました。全国の歴史ある植木産地に対抗して新しい産地を形成するには、いつでもどんな需要にも応えられる数量が不可欠です。また公共工事に使うには定められた規格品のバリエーションが必要です。
しかし、一人で生産できる量は限られています。多くの仲間が必要となり地域の農家にサツキ栽培を勧めましたが、安定第一を考える農家を説得するのは大変でした。サツキのような植木は、食用作物や野菜と違ってつぶしがききません。そこで委託生産による全量買い上げや所得保証をすることで、徐々に栽培面積を増やしていきました。
赤塚も人の何倍、何十倍もの生産に積極的に取り組みました。次第にサツキの生産量は増えていき、徐々に全国から産地と認められ、三重県はサツキの生産王国へと変貌を遂げていったのです。
サツキの栽培面積は故郷の津市高野尾町で100ヘクタールを達成し、その後三重県全体で1,000ヘクタールにまで広がりました。三重県で生産されるサツキは「三重サツキ」とブランド化され、今なお三重県は日本一のサツキ生産を続けています。
赤塚の永年の夢であった豊かな故郷づくりがサツキによって達成され、国土緑化という新しい園芸文化もサツキの普及とともに育っていきました。現在でもサツキに勝る造園用の花木はなく、赤塚がアメリカから帰国後すぐサツキを選んで量産化、産地化に取り組んだ先見性に驚くばかりです。
三重サツキ創業の父
平成20年(2008年)11月23日、赤塚は三重県植木需給協議会から「功労と感謝の碑 三重サツキ創業の父 赤塚充良氏へ」と銘打たれた功労記念碑を贈られました。
碑文には三重サツキが三重県の主要産品としてブランド化し、三重県特産品の代名詞として定着して今なお日本一の生産量を誇っていることや、 赤塚の類稀な先見性と指導力が讃えられています。
(文・西村富生)
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著者紹介
西村 富生(にしむら とみお)
㈱赤塚植物園 執行役員。生物機能開発研究所研究開発部長。学術博士。
昭和24年三重県生まれ。昭和50年三重大学大学院農学研究科終了。同年赤塚植物園入社。
入社以来、新しい園芸植物の生産に携わる一方、花木類の組織培養法を開発する。また赤塚充良のもとで水の研究を続け、FFCの開発と応用利用の研究を担当している。
(2009年4月発行 FFCテクノロジーニュース vol.6より)