真のリーダーシップを知る
赤塚充良の間近で仕事をしてきた社員が、取り組みやエピソードをクローズアップし、その人物像に迫るコーナー『萬古清風』(ばんこのせいふう)。第3回は「真のリーダーシップを知る」です。
※掲載内容は発行当時のものです。
想像以上に厳しかった研修生活
アメリカ・カリフォルニアの大規模果樹園で、日本各地から集まった10人の農業研修生と一緒に働き始めた赤塚にとって、文化や習慣が違い、言葉も通じない外国での労働は想像以上に厳しいものでした。
それにも増して頭を悩ませたのは、同じ農園で働き、共に生活する10人の仲間との人間関係でした。年齢も育った環境も違う人間が、24時間寝食を共にすれば、考え方や生活様式の違いから衝突が起こるのは必然です。しかしこれから3年間、異国の地で一人の脱落者も出さずに農業研修を続けなければなりません。途中で和を崩したら取り返しがつかなくなります。かといって10人をまとめていけるような人もいません。
この時、年齢の若かった赤塚は、みんなが仲良く仕事や生活ができるように調整役に徹しようと決意しました。
毎日、仕事で一番を目指す
調整役になろうといっても、仕事でみんなに認められなければ偉そうなことは言えないと考えた赤塚は、毎日の仕事でチャンピオンになることを目標としました。
痩せていて体力的にもそれほど秀でていなかった赤塚でしたが、 誰よりも仕事の成績を上げるためにあらゆる工夫や努力を惜しみませんでした。例えばクルミ苗木の接ぎ木では前夜に仕事をイメージしながら準備を重ね、ナイフをていねいに研ぎ、万全の状態で仕事に取り組んだのです。そして、何としてもチャンピオンになろうと、がむしゃらに働きました。その結果、どんな 仕事を与えられてもいつもチャンピオンになれたと赤塚はいいます。
ある果樹園の仕事ではその赤塚の頑張りにみんなが触発され、3ヵ月かかる予定が1ヵ月半で終わり、仕事がなくなって失業状態になったという逸話も残っています。
たしかに赤塚には負けん気の強いところがあり、どんな場合でも全力投球を信条とし、決して手を抜くことはしませんでした。
自然とリーダーとして認められるように
昼間の厳しい労働が終わった後の共同生活を営む宿舎では、いろいろな問題が起こりました。プライベートな時間や生活を求めそれぞれが身勝手な行動をしたり、自分の好みの料理を他の人にも押しつけたりする者も現れました。
まとめ役を期待していた年長者は自分のことを優先し、他人のことには全く無神経・無関心でした。腕力が強く、大きな声でみんなを従えようとした者もいましたが、彼は自己中心的な考えで人望が得られなかったと赤塚はいいます。こんな時にはみんなをまとめるリーダーがいないと集団は分裂します。
ここで赤塚は物事を損か得かではなく、何が正しいのか、みんなが何を求めているのかを考えながら、和を保つために行動を起こしました。年齢の若い赤塚は自らリーダーシップをとったわけではありません。しかし、仕事が出来て常にみんなの求めているものを理解して調和に努めた赤塚は、自然に仲間たちから慕われ、リーダーとしての立場に押し上げられていきました。
声の大きい者や腕力の強いものがリーダーになれるわけではありません。常に 前向きに物事を考え、将来の夢や希望を語っていた赤塚に、みんなが耳を傾け、先導するリーダーとして見るようになったのは自然の成り行きでした。農園のオーナーからもみんなのリーダーとして認められた赤塚は、研修が終わった時には特別のプレゼントをもらったとはいいます。
リーダーの条件を知る
アメリカでの農業研修の集団生活でリーダーの条件を知った赤塚は、帰国後たくさんの組織や団体を立ち上げ、常に先頭に立ってみんなを引っ張っていくことができました。
リーダーには何が必要なのか、リーダーシップを発揮して組織の長に立つ心構えとは何かを、アメリカでの生活で会得したのです。みんなが求めているものを読み取れる感性、素早い行動力、常に前向きに考え夢や希望を与える。問題があればとことん話し合い徹底的に理解をする。赤塚には真のリーダーの条件が身に付いていたのです。
(文・西村富生)
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著者紹介
西村 富生(にしむら とみお)
㈱赤塚植物園 執行役員。生物機能開発研究所研究開発部長。学術博士。
昭和24年三重県生まれ。昭和50年三重大学大学院農学研究科終了。同年赤塚植物園入社。
入社以来、新しい園芸植物の生産に携わる一方、花木類の組織培養法を開発する。また赤塚充良のもとで水の研究を続け、FFCの開発と応用利用の研究を担当している。
(2008年10月発行 FFCテクノロジーニュース vol.4より)