第2回 アメリカへの旅立ち

アメリカへの旅立ち

赤塚充良の間近で仕事をしてきた社員が、取り組みやエピソードをクローズアップし、その人物像に迫るコーナー『萬古清風』(ばんこのせいふう)。第2回は「アメリカへの旅立ち」です。
※掲載内容は発行当時のものです。

カリフォルニア農業研修に挑戦

家業の農業を継ぐために進学をあきらめ一家の大黒柱として働いていた赤塚でしたが、何年か経つと、体調を崩して働けなかった両親や祖父母が元気を取り戻し、十分な労働力が確保できるようになりました。時間的な余裕ができた赤塚は、家の仕事もほどほどに青年団や4Hクラブ(※)の活動に熱中するようになりました。

特に青年団では地元の若者を集めてさまざまな活動を提案し、いつの間にか地域の若者のリーダーとなっていきました。しかし、エネルギーに満ちあふれた20歳の赤塚にとって、自分の能力を存分に発揮できる舞台として当時の農村はあまりにも狭すぎました。

ちょうどその頃、外務省による派米短期農業労務者事業が発足し、第1回の募集が始まりました。

カリフォルニア農業研修が始まることを知った赤塚はまだ見ぬアメリカへの興味と「新しいことにチャレンジしたい」という思いが募り、アメリカ行きを決めてしまいます。終戦後10年しか経っておらず、かつての敵国に息子を送る母や家族の心配は赤塚にも痛いほどに伝わっていましたが決心は揺らぎませんでした。

この時の決断が赤塚のその後の人生を方向づける重要な転機となったのです。

※4Hクラブとは、Hands(手)、Head(頭)、Heart(心)、Health(健康)の4つの頭文字でよりよい農村、農業を創るために活動している組織

広大なスケールの農業を体験

1956年(昭和31年)、23歳の赤塚はカリフォルニア州の州都サクラメント近郊の果樹園で働き始めました。

いままで想像したこともない広大な畑、見渡す限りどこまでも続くクルミの木。経営規模は桁違いに大きく日本の農業とは比較になりません。一緒に配属された10人の研修生とともに、共同生活をしながら懸命に働き続けました。

農業研修といっても農場主の認識は労働力の不足を補う労務者制度でしたので、アメリカの農業を学ぶというより、一日中オリーブやブドウの木に登って収穫したり、気が遠くなるような数のクルミの木を接ぎ木したりと、長時間にわたる単純労働をこなしていく毎日でした。言葉や習慣の違いに戸惑い失敗することもあったそうです。

赤塚は日本とはまったく異なるアメリカの大規模農業で働きながら、日本とアメリカではスケールが違うので参考にはならないとか、単純労働では勉強にならないとは決して考えませんでした。

雇用労働力による大規模な農業経営、単一品目の大量生産、個人の努力や創意工夫によって変わる収益などアメリカ農業の優れたところをどんどん吸収していったのです。赤塚にはそれ以前とは比較にならないほど大きなスケールと自由な発想でものを考え行動する習慣が身に付いていきました。

後にサツキの大量栽培や赤塚植物園を設立して企業的な農業経営を始めたのは、この時の経験が大きな影響を与えたことはいうまでもありません。

萬古清風02-1

どこまでも続く広大な農園

萬古清風02-2

アメリカ研修時代。剪定作業をする赤塚充良

帰国後、豊かな農村に発展させる決意

働いていた農場主の生活は本当に裕福に見えましたが、当時のアメリカは社会全体が豊かで、みんな恵まれた生活を送っていました。

街へ出て行けば大型のショッピングセンターがあり何でも売っています。ほとんどの家庭が大型の自家用車を持っていて、庭には美しい花が咲き乱れ、花を愛でる精神的なゆとりもあります。何もない日本から出てきた赤塚にとって、カルチャーショックの大きさは計り知れませんでした。

そのアメリカの豊かさに慣れて3年ぶりに帰国した赤塚が見たものは、いまだに残る焼け野原と山林苗木やサツマイモ栽培が主な貧しい郷里の姿でした。赤塚はその現状に、さらに大きなショックを受けて愕然とします。

しかし、「自分にできることをするしかない」とアメリカで培った前向きな考えと行動力で立ち上がります。赤塚は「新しい農業によって、きっといつか故郷をアメリカのような豊かな農村に発展させてみせる」と決意したのです。

その想いは、郷土から始まって世の中を豊かに変えていきたい、そして社会のために限りなく貢献したいという理念に発展していくのでした。

萬古清風02-3

1950年代のアメリカの街並み

(文・西村富生)

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萬古清風 FFC Technology News vol.3 P27 萬古清風 FFC Technology News vol.3 P28

著者紹介

西村 富生(にしむら とみお)

㈱赤塚植物園 執行役員。生物機能開発研究所研究開発部長。学術博士。
昭和24年三重県生まれ。昭和50年三重大学大学院農学研究科終了。同年赤塚植物園入社。
入社以来、新しい園芸植物の生産に携わる一方、花木類の組織培養法を開発する。また赤塚充良のもとで水の研究を続け、FFCの開発と応用利用の研究を担当している。

(2008年7月発行 FFCテクノロジーニュース vol.3より)