命がけの“水浸け作戦”
赤塚充良の間近で仕事をしてきた社員が、取り組みやエピソードをクローズアップし、その人物像に迫るコーナー『萬古清風』(ばんこのせいふう)。第7回は「命がけの“水浸け作戦”」です。
※掲載内容は発行当時のものです。
コロンビアでのカーネーション栽培と経営危機
南米の赤道下にあるコロンビア共和国。首都のボゴタは標高2,600メートルの高原にあり、一年を通じて変化のない温暖な気候、昼夜の温度差、豊富な日射量、肥沃な土壌によって最高品質のカーネーションが生産されています。
昭和47年、コロンビアのボゴタを訪れた赤塚は、知人たちと共同でカーネーション生産 農場をつくり、安価で高品質な切り花を大量生産してアメリカなどに輸出し、大成功を収めました。その後10年以上にわたって生産・販売を続けましたが、連作障害が発生します。対策として化学薬品や蒸気を使った土壌消毒を行いましたが、土壌消毒にかける莫大な経費が古い農場をしだいに追いつめていきました。
しかし、26ヘクタールに及ぶ立派な施設と多くの労働者を抱える今の農場を捨てて、どこかに場所を移すわけにはいきません。そこで、アメリカで品種改良された耐病性のあるカーネーションを導入することにしましたが、花首が落ちる現象が発生し、経営は窮地に陥りました。
命を賭けたFFCの大実験を決意
平成3年、赤塚は連作障害を解決するには劣化した土壌の抜本的な改善、土壌の再生が必要と考えました。
この時の赤塚にはすでに、昭和59年から研究を続けてきた「FFC」があったのです。 赤塚は農場すべてに大量の水を張ることを提案しました。しかし、周囲は大反対。カーネーションの病気を抑えるためには、乾燥気味に育てることが現在でも常識です。 それを水で満たすということは病気を蔓延させることにほかなりません。しかし、農場を再生するには土壌の蘇生しか方法がないと考えた赤塚は、命を賭けたFFCの大実験“水浸け作戦”を決意したのです。
まずは自分の意思を通すために、農場の経営権の取得に乗り出します。51%の株を確保するために、アメリカ人の大株主から言い値で株を買い取ったといいます。そして、かたくなに反対する農場の責任者を押し切り、農場のすみずみまでFFCの土壌改質材を撒き、ため池の水にはFFCセラミックスで処理をしてから、責任者にすべての農地を水浸けするよう指示して帰国しました。
これは非常に危険な賭けでした。当時この地域は誘拐や銃撃戦、頻発するようなところです。失敗すれば農場を失うだけでなく、命まで狙われる危険性がありました。
そして3ヵ月後、とうとうコロンビアに経つ日がやってきました。いつ襲われるかと不安に思いながらも農場を訪問すると、白い長靴がずらっと並んでいま す。指示通りに農場全体の水浸けを行っていたのです。恐れていた病気は蔓延せず、カーネーションの肉付き、しなりはよくなり、土壌病害の多発していた土壌は、ものの見事に蘇っていたのです。
赤塚は講演会でこの命をかけたコロンビアでの体験をよく語ります。ここでの成功が赤塚にFFCに対する大きな自信を植えつけ、世の中にFFCを広く伝えたいという情熱を育んだのです。
その後もFFCの研究は続く
コロンビアのカーネーション農場の再生から18年。その間に赤塚はさまざまな分野で膨大な実証事例を積み上げ、不足していた科学的データを集めてきました。その実績に対して多くの研究者が興味を持ち、ハーバード大学をはじめ国内外の大学・研究機関によるFFCの科学的な研究成果が揃ってきました。
25年間に及ぶFFCの成果の総決算が、今年の8月に「FFC国際フォーラム 2009」として東京で開催されました。この成果を踏まえ、FFCを世界に発信する時期が到来したと赤塚は捉えています。
現在、地球環境問題は世界中で深刻度を増し、先端的な環境技術が地球環境の保全のために投入されています。赤塚がコロンビアで実証した土壌の再生技術をはじめ、さまざまな環境改善に有効なFFCが、世界中でお役に立てる時代がやってきたようです。
(文・西村富生)
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著者紹介
西村 富生(にしむら とみお)
㈱赤塚植物園 執行役員。生物機能開発研究所研究開発部長。学術博士。
昭和24年三重県生まれ。昭和50年三重大学大学院農学研究科終了。同年赤塚植物園入社。
入社以来、新しい園芸植物の生産に携わる一方、花木類の組織培養法を開発する。また赤塚充良のもとで水の研究を続け、FFCの開発と応用利用の研究を担当している。
(2009年10月発行 FFCテクノロジーニュース vol.8より)