心に咲く花 80回 稲の花

稲の花咲くべくなりて
白雲は
幾重の上にすぢに棚びく  ― 斎藤茂吉(さいとうもきち)

【現代訳】
稲の花が咲く時期となり、白雲は幾重にも連なって、横に長く続いている。

心に咲く花 2024年80回 稲の花


神話の時代から「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂(みずほ)の国」と言われたように、日本にとって、「米」は特別な存在でした。
「瑞穂」とは、みずみずしい稲穂のこと。たった一粒から何倍にも広がってゆく米が豊かに稔(みの)りゆく国として、「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂(みずほ)の国」という表現は、いつしか日本全体を意味する美称に用いられてきました。

『万葉集』には二十首以上の米(稲)を詠んだ歌があります。
「我が蒔(ま)ける早稲田の穂立(ほたち)作りたるかづらぞ見つつ偲(しの)はせ我(わ)が背(せ)」。
これは坂上大嬢(さかのうえのたいじょう)が、『万葉集』の編者 大伴家持(おおとものやかもち)に贈った一首です。「私が蒔いて実った早稲の田から収穫した稲の穂でつくった髪飾りを見て、どうか私のことを思い出してくださいませ」という恋の歌です。日本に生まれ育った誰もが、時代を超えて皆、米の恩恵を受けています。

掲出歌は、昭和二十一年に刊行された斎藤茂吉の歌集の一首です。同時期に「かぎりなく稔(みの)らむとする田のあひの秋の光にわれは歩める」という歌も詠んだ茂吉。終戦後、大変な中でも花を咲かせ、限りない実りをもたらしてくれる米の存在に励まされたのかもしれません。
他に、「みちのくに米とぼしとぞ小夜ふけし電車のなかに父をしぞ思ふ」という歌が茂吉にあります。山形出身の茂吉。郷里の東北が米不足だと聞いて、電車の中で父のことを思った、という一首です。

酷暑の今年は全国的に米不足が懸念されています。そんな中、七月から九月頃に白い花を咲かせる稲。花が咲いているのは、午前中から昼頃のわずか二、三時間なのだそうです。暑さの中でも懸命に花を咲かせ、実を成そうとする稲の花が励ますものは決して人間だけではないのでしょう。
数多(あまた)の災害を乗り越え、毎年、稲が実ってくれたからこそ、千年以上にわたって今も食べ継がれる米。稲の花一つ一つ、米粒一つ一つが、神代の時代からの手紙なのかもしれません。いつまでも稲の花が咲き、米が実る「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂(みずほ)の国」でありますように。


田中章義(たなか あきよし)さん

歌人・作家。静岡市生まれ。大学在学中に「キャラメル」で第36回角川短歌賞を受賞。2001年、国連WAFUNIF親善大使に就任。國學院大學「和歌講座」講師、ふじのくに地球環境史ミュージアム客員教授も務める。『世界で1000年生きている言葉』(PHP文庫)の他、歌集『天地(あめつち)のたから』(角川学芸出版)、『野口英世の母シカ』(白水社)など著書多数。

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