橘の香をなつかしみ
ほととぎす
花散る里を訪ねてぞとふ ― 紫式部『源氏物語』より
【現代訳】
昔の人を思い出させる花橘の香りがなつかしく、ほととぎすは花橘の散っているこの邸宅にやって来たのです。
心に咲く花 2024年77回 花橘
NHK大河ドラマで『光る君へ』が放映されているので、今回は主人公・紫式部の代表作『源氏物語』から、この時期の花の歌を取り上げてみました。
「橘」は、『万葉集』に七十首以上詠まれた植物です。「みかん」、もしくは「蜜柑類」の総称と考えられています。日本に古来、野生の植物として見られ、『古事記』にも橘に関した記述があります。
『伊勢物語』や『古今和歌集』におさめられた、「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」(五月を待って咲く花橘の香りを嗅ぐと昔親しくしていたあの人の袖の香りがする)という歌は名高く、紫式部もこの「詠み人知らず」の歌を知った上で『源氏物語』に花橘を登場させたのでしょう。
第十一帖「花散里」で光源氏が、自らを「ほととぎす」に喩え、「昔の人を思い出させる花橘の香りがなつかしいので、ほととぎすはこの邸宅にやって来ました」という思いを歌にしました。光源氏の歌を受け、訪問された女性(亡き父帝の女御である麗景殿)は、「人目なく荒れたる宿は花橘の花こそ軒のつまとなりけれ」(人目もなく荒れたこの宿に咲く軒端の橘こそがあなたをお誘いしたのですね)という返歌を詠んでいます。
『源氏物語』にこうした「花橘」の描写を描いた紫式部。『光る君へ』では、今後どんな植物がどんな心象風景と重ね合わせて描かれるのでしょうか。
古来、尊い生命力が宿ると語り継がれ、誉れ高い香りが讃えられた花橘。近年、学会では橘が日本産柑橘類のルーツであることが指摘され、沖縄原産タニブターとアジア大陸産の何かの植物との交配で橘は誕生したのではないか、という学説が注目されています。ウグイスはこの木にとまることが多く、別名「橘鳥」と呼ばれます。
今でも五百円硬貨の裏側には「橘」が描かれ、一九三七年に制定された文化勲章にもこの「橘」がデザインされています。日本文化を語る上で、とても重要な植物のひとつです。
田中章義(たなか あきよし)さん
歌人・作家。静岡市生まれ。大学在学中に「キャラメル」で第36回角川短歌賞を受賞。2001年、国連WAFUNIF親善大使に就任。國學院大學「和歌講座」講師、ふじのくに地球環境史ミュージアム客員教授も務める。『世界で1000年生きている言葉』(PHP文庫)の他、歌集『天地(あめつち)のたから』(角川学芸出版)、『野口英世の母シカ』(白水社)など著書多数。
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