雑草の二人静は悲しけれ
一つ咲くより 花咲かぬより ― 与謝野晶子
【現代訳】
二人静が咲いている。二本の花穂が伸び、小さな白い花を咲かせる二人静。雑草のように野の道にあって、向き合うように並び咲く二人静は、一つだけ咲く花よりも、全く花が咲かない植物よりも私には悲しいものに思える。
心に咲く花 2024年75回 二人静(ふたりしずか)
掲出歌は一九二一年に刊行された、与謝野晶子 第十七歌集『太陽と薔薇』の一首です。「一つずつ花が咲く植物よりも、全く花が咲かない植物よりも」、常に二本の花穂が並び咲くことを宿命づけられた二人静を“悲し”く感じた、当時の与謝野晶子。
「二人静」といえば、源義経と静御前を描いた能が知られます。世阿弥作だと語り継がれるこの悲恋の能物語「二人静」のことを与謝野晶子も知っていたのでしょう。その上で、自身の状況とも重ねつつ、二人静の切なさを詠まずにはいられなかったのかもしれません。
当時の与謝野晶子の境遇とは異なりますが、たとえば愛する伴侶が他界した人がこの花を見た時、仲睦まじく寄り添うように咲く二人静の二本の花穂は、よりいっそう切なさを想起させるものなのだと思います。
『万葉集』に、「つぎね(次嶺)」と出てくる植物がこの二人静、もしくは一人静のことだと語り継がれます。「つづく」「宿る」「ならぶ」――こうした意味合いで用いられる「つぎね」は、二花(ふたはな)がつながって咲く二人静だからこそ味わい深いのかもしれません。『古事記』にも、「つぎねふや」という記述があり、この「つぎねふ」も「次嶺(つぎね)ふ」であり、「次々生える」「つながり」を示す言葉だと考えられています。
直立する茎から顔をのぞかせる二人静の風情ある姿は、古来多くの人々の心に何かを感じさせてくれました。語り合うように向き合って咲く多年草。野に咲く、こうした植物の花穂に心を奮(ふる)わせ、茶花にも用いた先人の美意識や潤い豊かな心を忘れずにありたく存じます。
作家の横溝正史(よこみぞせいし)は、「それぞれの花ありてこそ野は愉し」という俳句を詠んでいます。妻で俳人の孝子夫人に『二人静』というタイトルの句集があります。二人静の花言葉は「いつまでも一緒に」なのだそうです。花序の可憐な姿とは異なり、実は丈夫で庭植えにも鉢植えにも適する多年草。二人静の咲く豊かな春が世界の人々に訪れますように。
田中章義(たなか あきよし)さん
歌人・作家。静岡市生まれ。大学在学中に「キャラメル」で第36回角川短歌賞を受賞。2001年、国連WAFUNIF親善大使に就任。國學院大學「和歌講座」講師、ふじのくに地球環境史ミュージアム客員教授も務める。『世界で1000年生きている言葉』(PHP文庫)の他、歌集『天地(あめつち)のたから』(角川学芸出版)、『野口英世の母シカ』(白水社)など著書多数。
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