妹(いも)が汲む 寺井の上の 堅香子(かたかご)の
花咲くほどに 春ぞなりぬる ― 衣笠家良(きぬがさいえよし)
【現代訳】
あなたが汲む寺の井戸のあたりに片栗(堅香子)の花が咲いている。この紅紫色の可憐な花が咲くほどに、次第に春になっていくことだなあ。
心に咲く花 2021年38回 片栗(カタクリ)
「春の妖精」とも称される片栗の花は、『万葉集』で大伴家持が和歌を詠むなど、古来、人々に愛されてきました。大地を覗き込むような独特な姿で咲き、春の山野を彩る片栗。掲出歌のように、かつては「堅香子(かたかご)」と呼ばれていました。
この歌の作者の衣笠家良は藤原家良とも称される鎌倉時代の歌人で、新三十六歌仙のひとりに数えられています。『続古今和歌集』の撰者でもありました。
そんな作者の心の中には、大伴家持が詠んだ『万葉集』の「もののふの 八十少女(やそおとめ)らが 汲みまがふ 寺井の上の 堅香子の花」という作品があったことでしょう。家持の歌は「大勢の若い娘たちがやって来て水を汲んでいるが、その井戸のかたわらに咲く片栗の花がとても可憐で美しいなあ」という歌意です。
群れて咲く紅紫色の美しい片栗の花は、実は雌雄同株の両性花です。北海道から本州まで、各地に有名な群生地があります。発芽から開花まで八年から九年もの歳月を要すると言われる片栗。開花までの長さに由来するのか、「さびしさに耐える」という花言葉もあります。
春の大地を彩る片栗の花は近現代でも多くの歌人の心をとらえてきました。
「かたくりの 若芽摘まむと はだら雪 片岡野辺に けふ児等ぞ見ゆ」と詠んだのは若山牧水です。宮柊二にも、「窓少し 開けしめたれば 窓ぎはの かたくりの花 かすかにそよぐ」という歌があります。現代を代表する女流歌人の馬場あき子にも「うつむきて 語るほかなく ふるさとの ほのむらさきの 片栗の花」という作品があります。
良質なでんぷんがとれることから、「片栗粉」が重宝されましたが、現代で片栗粉と言われるものの多くはじゃがいものでんぷんからつくられたものだそうです。鱗茎(りんけい)を煮ても美味しく、若葉も茹でて食べることができる片栗。
掲出歌のように、「花咲くほどに春ぞなりぬる」(花が咲くほどに春がやって来る)存在なのかもしれません。
田中章義(たなか あきよし)さん
歌人・作家。静岡市生まれ。大学在学中に「キャラメル」で第36回角川短歌賞を受賞。2001年、国連WAFUNIF親善大使に就任。國學院大學「和歌講座」講師、ふじのくに地球環境史ミュージアム客員教授も務める。『世界で1000年生きている言葉』(PHP文庫)の他、歌集『天地(あめつち)のたから』(角川学芸出版)、『野口英世の母シカ』(白水社)など著書多数。
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