唐衣 きつつなれにし つましあれば
はるばる来(き)ぬる 旅をしぞ思ふ― 在原業平
【現代訳】
(何度も来てなじんだ)唐衣のように、(長年慣れ親しんだ)妻が(都に)いるので、(その妻を残したまま)はるばる来てしまった旅(のわびしさ)をしみじみと思っている。
心に咲く花 2019年16回 かきつばた
あやめ、花菖蒲、杜若(かきつばた)など、この時期の大地には紫色の花がよく似合います。
「令和」の出典となった『万葉集』にも、「杜若」を詠んだ和歌が数首出てきます。
日本原産とも言われ、かつてはこの花を衣に擦り付けて染色をしていました。
花の美しさから、「顔が佳(よ)い花」という意味の「貌好花」「顏佳花」(どちらも「かおよばな」)とも称されてきた杜若。
日本人に親しまれてきた「杜若」を詠んだ中でも、特に有名な一首が掲出歌でしょう。
在原業平がモデルになったと言われる『伊勢物語』に出てくる他、『古今和歌集』にもこの歌は収められています。
『古今和歌集』仮名序で、紀貫之が名前をあげた六人の歌の名人(六歌仙)にも数えられた在原業平。
「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」
「月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして」
「ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」
などの歌でも知られています。
そんな在原業平の中でも名歌の誉れ高いのが掲出歌でしょう。
五七五七七の最初の文字を並べると「かきつはた」になるこの一首。
「唐衣」は「着る」に掛る枕詞、「唐衣着つつ」は「なれ」を導く序詞、「妻」と衣の袖を意味する「褄」の掛詞など、和歌の技法が幾種類も用いられています。
けれども、そんな修辞法の知識がなくても、紫の花弁の中央に白を配したあの趣(おもむき)のある花が、作者の心情を情感豊かに表します。
「杜若」の花言葉は、「贈りもの」「幸せが来る」「幸せはあなたもの」なのだそうです。
誰かが誰かを想う時、そっとそばに寄り添うあやめ色の杜若。
尾形光琳の屏風絵などの美術品、さらには能や謡曲でも登場しています。
日本人の文化や心も彩ってくれた花――「杜若」は新時代の「令和」にも人々に愛でられ、讃えられていくのではないでしょうか。
田中章義(たなか あきよし)さん
歌人・作家。静岡市生まれ。大学在学中に「キャラメル」で第36回角川短歌賞を受賞。2001年、国連WAFUNIF親善大使に就任。國學院大學「和歌講座」講師、ふじのくに地球環境史ミュージアム客員教授も務める。『世界で1000年生きている言葉』(PHP文庫)の他、歌集『天地(あめつち)のたから』(角川学芸出版)、『野口英世の母シカ』(白水社)など著書多数。
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