夏深み 入江のはちす さきにけり
浪にうたひて すぐる舟人 ― 藤原(九条)良経
【現代訳】
夏が深まりゆく入江には蓮の花が咲いています。
水上に大きな多弁の花を咲かせる蓮の花。あまりにも美しいその姿に、舟を漕ぐ人も思わず歌をうたいながら過ぎていきます。
心に咲く花 第7回 蓮(はす)
「蓮は泥より出でて泥に染まらず」のことわざでも有名な蓮。
『古事記』でも蓮にちなんだエピソードが語られる他、『万葉集』には四首の蓮の歌があります。
極楽の花としても古来、国境を越えて人々に愛されてきました。仏教と縁が深いため、インドやスリランカ、ベトナムでは国花にもなっています。
清少納言が『枕草子』で、「蓮葉、よろづの草よりもすぐれてめでたし」と称えた蓮の葉。
花もすばらしく、葉も人々を和ませ、さらに食用の蓮の根は、言わずと知れた滋味豊かな「蓮根」です。
美術の世界では俵屋宗達や尾形光琳も描いた蓮。
掲出歌を詠んだ藤原良経は、摂政関白だった九条兼実を父にもつ鎌倉時代の公卿でした。藤原俊成・定家父子に和歌を学び、『新古今和歌集』では仮名序を執筆しています。幼少期から学才をあらわし、『千載和歌集』には、十代の和歌も七首採られました。叔父には歌人として有名な慈円もいます。
年若くして太政大臣にもなった教養豊かな貴公子――それが作者でした。
掲出歌の他には、
「み吉野は 山もかすみて 白雪の ふりにし里に 春は来にけり」
「人住まぬ 不破(ふは)の関屋の 板廂(いたびさし) 荒れにしのちは ただ秋の風」
などの歌が知られています。
小倉百人一首の「きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣片敷き(ころもかたしき) ひとりかも寝む」の作者でもあります。
後鳥羽院の信任も厚く、摂政にも任ぜられた良経。
三十八年の生涯でしたが、漢詩や書画にも優れ、気品のある歌風は今も讃えられています。清楚で麗しい蓮の花と、透明感のある清らかな作風の良経には不思議な共通項があるのかもしれません。
弥生時代の遺跡から発見された実が発芽し、今も花を咲かせている蓮の花。舟人が思わず歌を口ずさみたくなるほどの美しさは現在でも健在です。
田中章義(たなか あきよし)さん
歌人・作家。静岡市生まれ。大学在学中に「キャラメル」で第36回角川短歌賞を受賞。2001年、国連WAFUNIF親善大使に就任。國學院大學「和歌講座」講師、ふじのくに地球環境史ミュージアム客員教授も務める。『世界で1000年生きている言葉』(PHP文庫)の他、歌集『天地(あめつち)のたから』(角川学芸出版)、『野口英世の母シカ』(白水社)など著書多数。
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