春の苑紅(くれなゐ)にほふ桃の花
下照る道に出で立つ少女(をとめ) ― 大伴家持
【現代訳】
春がやってきました。美しく匂い立つように咲いている桃の花。
その桃の花に見とれて立っている少女がいます。
心に咲く花 第1回 桃
万葉の昔から人々に愛され、詠み継がれてきた「桃の花」。
日本では縄文時代の遺跡からも出土しているそうです。
『日本書紀』には、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を救ってくれた桃の実のエピソードが紹介されています。
古代中国の幾つかの書物にも邪気を祓(はら)うものとして桃は描かれてきました。
「枝垂れ桃(しだれもも)」の淡紅色も美しいですが、「寒緋桃(かんひとう)」のあざやかな濃紅色、さらには「関白」や「箒桃(ほうきもも)」の純白色も早春の大地を彩り、人々の心を潤してくれます。
花の鑑賞はもちろん、実の美味しさは言うまでもありません。乾燥した葉は入浴剤としても用いられている桃。
昔から汗疹(あせも)や皮膚病に効果があると伝承されてきました。さらに、枝を箸に用いたり、樹皮は草木染の染料としても活用されてきました。
私たちは古来、どれほど桃の恵みを享(う)けて、この国で暮らすことができているのでしょう。
桃の和歌で最も有名なものと言えば、『万葉集』に収められているこの掲出歌ではないでしょうか。
『万葉集』の編者と言われる大伴家持の代表歌の一つです。
夕暮れに詠まれたこの歌。春爛漫の時期、桃の花に夕日が映えてとても美しい状況です。
そんな桃の花を見上げている少女。やわらかい春のひかりに照らされて、作者には少女自身が花びらのように見えていたのかもしれません。
円みのある花が、優しさやあたたかさを醸し出す桃。
俳句では正岡子規が「故郷はいとこの多し桃の花」と詠み、与謝蕪村は「桜より桃にしたしき小家かな」と詠みました。
現代でも高野素十が「野に出れば人みなやさし桃の花」という句を残しています。
桃の咲く国に生まれた幸せ。それをかみしめたい早春です。
※写真は「源平桃」という品種。
紅白の花が混じって咲くことから咲き分け桃とも呼ばれます。白(源氏)と紅(平氏)が入り乱れて戦った源平合戦からこの名がついたといわれます。
田中章義(たなか あきよし)さん
歌人・作家。静岡市生まれ。大学在学中に「キャラメル」で第36回角川短歌賞を受賞。2001年、国連WAFUNIF親善大使に就任。國學院大學「和歌講座」講師、ふじのくに地球環境史ミュージアム客員教授も務める。『世界で1000年生きている言葉』(PHP文庫)の他、歌集『天地(あめつち)のたから』(角川学芸出版)、『野口英世の母シカ』(白水社)など著書多数。
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